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  • 執筆者の写真すずきあさよ

されたくなかったことは何か? 乳がん涙の本音

更新日:2月7日

「乳がんの時、されたくないということは何でしたか? 」


と、言う質問を受け、さて何だったっけ?



乳がんになった、14年前を振り返った。



乳がんの告知を受けて、早々に、治療の選択のことが頭をよぎった。治療の選択をする上で心配な人間関係が父で、これがデカい問題。

 


父は、今でこそだいぶ丸くなりましたが、基本昭和の亭主関白。女は男の言うことを聞いてればいいタイプ。

 


  • 医師の勧めるは絶対。

  • 医師の言葉はほぼ鵜呑み。

  • 病院で出されたものなら、毒でも飲むのではないかと思うほど。



私は、割と早い段階で、実は心の中で、乳がんの摘出手術は受けても、術後の薬物療法はやらないと決めていた。



乳がんになる直前、薬物療法のメリットデメリット、体の中で、どんな作用があるのか、学ぶ機会があったからだ。



それだけじゃない。



なぜか子供の頃から、自分はがんなのではないかと思うことがあって、小児がんの子供たちの闘病記を読んで、抗がん剤だの、放射線だのは、絶対やらないと決めていたから。



案の定。



手術直後から、父が毎日顔を出しては、「で、治療はどうするんだ?」

迫ってくる。



心配してくれているのはわかるのだ。けれど、薬物療法は、絶対必要と決めてかかっているのがうっとうしい。



と、言ったら

「家族は心配して言ってんだよ!」と言いたい人もいるだろう。



ただ、私なりに、過剰に反応するのにも理由があったのだ。時はさかのぼって、高校時代の話しなる。


それが乳がんの時、されたくなかったこととどう関係あるのか? という人も、

ぜひ、最後まで読んでいただきたい。人生の課題って、このように時を隔てて出てくるものなのか、と思い知った経験だから。




私が高校3年生で、進路を決める頃、電子オルガンの音楽の学校に行きたいと言う夢を父に猛反対された。音楽をやりたければ、保育士免許を取って保育園でやれと、幼児教育科への進学を強く勧められた。



その反対ぶりは、嫌がらせかいじめか思いたくなるほど、徹底していた。




毎日顔合わせるたび大喧嘩となった。



そして、父が認めたある音楽学校一校のみ、受験を許されたのだ。

しかし、そこは狭き門で有名。



音楽の先生は、他の専門学校も受験するように進めてくれたが、問答無用。




そして、高校3年生の夏。



受験に向けて、一番練習に打ち込みたい時期に、「レッスン費は自分で稼ぎなさい」と、水産加工のアルバイトに行くように言われ、練習できなくなってしまった。

 


この時期に、応援ではなく、試練を与えるって、鬼か???



ちくしょうーーーー!!!!



で、どうなったか。



結局、私は父が許した唯一の学校の受験に失敗し、父の望み通り、短大の幼児教育科へ進学することになった。



うつうつとして、無気力。



やりたいことも見失って、なんとなく卒業した学校からもらった保育士証など、その後の人生で、何度、破り捨ててやりたい衝動に駆られたことか。



それから約20年後。39歳で乳がんになって、父が治療の選択の件で口を挟んできた時、高校時代の怒りが火山のように爆発した。私の怒りは死火山になっておらず、爆発する時を狙っていた活火山だったのだ。



今度は進路の問題じゃない。


命がかかってんだ。


遠慮なんかしていられるか。


もし、ダメージの大きい治療をして、合わなかったら、どうするんだ?


他の誰でもない、私が苦しむことになるんだ。



「もう、いい加減、私に決めさせてくれーーー」


と、言えれば良かったのだが、言えなかった。

 

言えないから、さらにストレスがたまるという悪循環。

 


家族だからこそ、もどかしい。



その結果、父を避けた。そのことを父もうすうすと感じ取っていた

ように思う。でも、なぜ、避けられるのかわからかったはずだ。

 



もし、父が、「あさよは本当はどうしたいんだい?」と心から聞いてくれたら。


そして、私の選択が、たとえ父の意にはそぐわなかったとしても、尊重してくれていたら。



父の存在は、私にとって、がんを乗り切る支えとなっただろう。



父は、私が医師の言う通りにしなかったことに、いら立っていた。


けれど、今は真逆。

14年再発していない私を見ているから、

がんになった人に対して、

薬物療法はやらない方が良いと言うようになった。



人間、そんなものではないか。



最初の問いに戻そう。


「されたくなかったことは何か」


すばり、冷たく聞こえるとは思うが、

「あぁしろ、こうしろ言わないでくれ」だった。


わたしの選択を一度でいい、心から尊重し、応援して欲しかったのだ。


もちろん、父が自分ごとのように心配してくれていることも、100も承知の上でだが。



よく、乳がんになってから、引きこもりになり、困っているという家族の話しを聞くことがある。



きっと、その人にも、本人にしかわからない事情があるんだと思う。



家族や周囲にとって、意にそぐわない選択をしたとしても、その選択を尊重してあげて欲しいのだ。



患者の家族も大変だと思う。けれど、一番つらいのは、やっぱり、闘病中の本人なのだから……。




追記:ところで、若い頃、病気知らずだった父も数年前に、心臓にペースペーカーが入り、障害者手帳の所持者になった。



母が先に亡くなり、一人暮らしをしている実家の父の机には、「子は旅人と思え」のメモ書きが。



今は、帰省した時、父が連れて行ってくれる函館の温泉と食堂は楽しみだ。

「ここの天丼は680円で、安くてうまい!天ぷらもサクッとしているし」

こんな話しは合うのに、大事な話しになると、なぜか反れていく。

不思議だなぁと思うケド。まぁ、いいか。


父と天丼
父がごちそうしてくれる天丼がおいしい



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