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Profile

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すずきあさよ 

1970年、北海道生まれ。体当たり記者・じぶんライター

元マスメディアライターとして活躍していたすずきあさよが、乳がんや離婚など逆境を経て、「個性」を生かすことに価値観が変化しました。

 

新たな航路として、小さくても微力でも、自分の土台で発信することにチャレンジする、じぶんライターに転身しました。

 

紆余曲折に磨かれ、自分らしく生き抜くのヒントを冒険心で分かち合っています。​

​ミッションは与えられた人生を愛し楽しむ姿を通じて、インスピレーションを与えることです。

​好奇心の源

転勤族の家庭に生まれ、子どもの頃は大阪府豊中市、東京都新宿区で育ちました。北海道は稚内、釧路、森町、函館に住んだことがあり、現在は札幌に在住しています。

 

日本一の大都会から、北海道の人口約16000人程度の小さな港町まで、住んだ経験があるのです。

 

子どもの頃、両親が旅重なる転勤について、

 

「住んでいる間にその土地のものを楽しめば、旅行をしているみたいでいいんでない」

と前向きにとらえ、行く先々を柔軟に楽しんでいました。

この姿勢が「人生は旅、冒険の旅」という私のスタンスに大きな影響を与えています。

たとえば、大阪では音楽教室の先生から声をかけられたことがあったのです。

 

小学生以上が対象のオーディションを幼稚園の頃に受けて合格、歌とダンスの舞台に出ました。

 

練習は厳しかったのですが、みんなよりひとまわり小さい私はセンターで踊ることになったのです。

 

私は生まれつき体が弱く入退院を繰り返していたのです。

 

​そんな私を母が心配し、チャレンジさせたのだと思います。

 

東京では新宿区余丁町に住んでいました。

 

大都会でしょ。

 

お台場に移転する前のフジテレビがすぐ近くにあった場所です。

 

母は子育てをしながら、テレビプロダクション会社の下請けの仕事をしていました。

母の仕事が縁となって、私も小学生から中学生までテレビ出演を経験したのです。

小学生の頃に、テレビ番組制作の現場に直に触れたり、出演する機会を得たことによって、

 

臆せずに人前に出る気持ちが育てられたようです。

 

小学生の私は、番組を作ることにも興味を持ちます。

 

放送委員など積極的に取り組んでいましたね。

 

ライターの仕事についたことにも大きな影響があると思っています。

 

また、高校生の時には、一変して、北海道駒ヶ岳と内浦湾をが美しい森町に在住したのです。

 

人口約16000人程度の小さな港町です。

 

ホタテ漁が盛んな頃で、ホタテの耳釣りや水産加工のアルバイトを家族で経験しました。

 

小学生から赤ちゃんをおんぶして働く主婦まで、地域のみなで協力しあって働く姿に触れることができたのです。

 

このように、その土地でしか味わえないことを旅するように経験して育ちました。

 

これが私の好奇心の源となっています。

​保育士と専業主婦からの転身、未経験からライターへの道

私は高校生の頃、電子オルガンの先生になるのが夢だったのです。しかし、父に猛反対されて、短大の幼児教育科へ進学することになりました。

 

保育士になりましたが、保育園というお堅くて、特殊な組織に窒息しそうになり、わずか1年で結婚を理由に退職してしまいます。

 

その後、21歳で母親になり、年子の子育てに専念する時期を過ごします。​26歳の時、地域情報紙でライター募集の記事を見つけ、ポンと応募し、未経験の専業主婦からフリーライター&広告営業に転身しました。

 

初めて記事広告の打ち合わせで某化粧品屋さんへ行った時のことを今でも鮮明に覚えています。何しろお客さまにしてみると、担当が経験豊富な編集長から、いきなり未経験の主婦に変わったのですから。

 

「うちの宣伝、あなたで本当にだいじょうぶなの?」と、青色吐息になられ、手に汗を握りながら、取材となりました。取材をし、写真を撮り、350字程度の記事広告を作成する仕事ですが、緊張しっぱなしだったのです。

 

掲載後、反響があったと聞いた時は、心からホッとしましたね。少しずつ信頼され、まかせてもらえるようになりました。これが私の物書きとしての出発点だったのです。

仕事に慣れた頃、話題の美容の体験型取材をしたいと編集会議で提案すると採用されました。記者体当たり企画「ぶっとびねえちゃんあさよがゆく」と名づけられたコーナーが思いのほか、大好評となったのです。キャラクターに一致していたのだと思います。

 

私の中ではまさしく、「当たった」体験でした。次第に、お客さまから指名されるようになり、体当たり記者としても、広告芸業としてもやりがいを感じるようになっていったのです。

ものづくりの現場で、興味好奇心を大切に、やりたいことを提案することの実感する経験でした。

​逆境で記者魂が騒ぎ出し、自分の土台で書くことを始める

しかし、30代中頃から、人生は下り坂に向かい、天職と疑わなかったライターもやめてしまいます。

 

30代後半で乳がんや離婚など逆境に見舞われ、人生そのものが「体当たり企画」のようになってしまったのです。

 

乳がんと離婚のダブルパンチで、闇夜に氷山に衝突しタイタニックのように深く沈み込みました。

 

けれど、記者魂が騒ぎ出し、ブログで情報発信を始めます。すると、思いがけず、そのブログ(現在は閉鎖)が、大手旅行会社と観光交流局のブロガーに選ばれ、ブログで旅をすることができたのです。

人生は冒険の旅、いつだって体当たり。逆境も含め、すべてのストーリーが未来に続く「かけ橋」なのではないでしょうか。

物書きにとって体験は「仕入れ」です(笑)。これも「体当たり企画」のひとつと思えばいいかと、51歳の時、コロナ禍で初のKindle出版にチャレンジしました。

取材ライター時代に、体当たり企画で紙面登場したり、署名記事を書いたりしていましたが、無名の個人であることに変わりはありません。

 

私にとってKindle出版とは何か? を問い続けること。ライターの経験を生かしつつ無名の個人が読まれる本を出版するためのノウハウを実践しながら探求することを大切にしています。

 

現在は、体当たり記者・じぶんライターとしてKindle出版に力を注ぎ、4冊の本を出版しています。

​【所属】 

一般社団法人日本ネーミング協会正会員

【保有資格】 

国家資格は保育士、公的資格は幼稚園教諭

民間資格 自然体験活動指導員、サプリメントアドバイザー、アソシエイト・ホスピタリティ・コーディネーター、リトミック指導者(初級)、アロマ検定(3級)他、ソース公認トレーナー、セラピスト系は8つほど取得。

​じぶんライターという肩書きネーミングのこと

​「じぶんライター」という肩書きは、一般社団法人日本ネーミング協会会長岩永嘉弘先生がネーミングをしてくださいました。

岩永先生からのメッセージより転載。

 

どの本も、自分に起こったこと、自分が出会った奇蹟、自分の人生を書いてきた。自分という「個」を書くことで「多」の感動と共感を得てきた。そういう新ジャンルのライターだと宣言しましょう。

(こんな肩書はかつて存在しない。発明です。画期的でしょう? 目を引きます。話題にもなる。

じぶんは、あえて仮名にしました。あさよさんの文章のイメージから。)

好きなこといろいろ……

歌うこと(地域の聖歌隊に所属して歌っています)。

 

観光旅行が好きで、ノスタルジーな町並みを見て歩くこと。

​一人旅。

静かな湖畔や森の中へ出かけること。

聖地巡りをすること。​

教会など聖地に人を案内すること。

カレーと蕎麦の食べ歩き。
(地元の味を満喫しながら、地域の魅力を発見できる身近な楽しみです)

はじめの一歩やキャプテン翼などスポーツアニメをよく見ます。

​感動映画を観ること。

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